先日、タイのビーチリゾート地、パタヤに遊びに行きました。
ここでは、ヨーロピアンの老夫婦がよく目に付きます。60歳も過ぎた夫婦が2人で、ホテルのプールにいたり、ビーチにいたりです。リタイヤして移住しているのか、長期旅行で来られているのかだと思われます。
ゲスい話しで恐縮ですが、彼らは「本当に今でも、そうありたいのか?」がとても気になりました。
価値観はその人それぞれですし、僕は、否定も肯定もする立場にありません。彼らは、ヨーロピアンで、そもそも僕たちとは、文化が違います。僕が問いたいのは、それが最善なのだろうか?という、素朴な疑問なのです。
目次
家族が仲が良いというデモンストレーション
僕が愛読する、サラリーマン漫画「島耕作」での一コマに、このアメリカ老夫婦についてあります。
課長島耕作第2巻STEP12「ムーンリバー」より
主人公の島耕作は、浮気相手である米国人女性から「奥様のことを愛している?」と聞かれた時の切り返しが、、
そうゆう感情ってのは早晩なくなるものなのだ。50になった夫婦が結婚当初の恋愛感情のテンションをそのまま持続してベタベタしているなんて気持ち悪いじゃ無いか
そして、島耕作は、そのような、アメリカ人夫婦に対して露骨にも
家族がこんなにも仲がいいんだぞという一つのデモンストレーションさ。ある種の言い訳だよ。日本では夫からみた妻は一番愛する人じゃなくて、一番大事な人なんだ。それで結婚生活は維持できる
僕は同感してしまうのです。
ここが、日本人と欧米人とのパートナーとの関係性の違いと思います。別に、僕は浮気したいという願望があるわけでも無いのですが、パートナーとの距離感をしっかりとって、無理のない関係で、共に歩んで行きたいと考えています。
老後にも夫婦共々、仲慎ましくというのは、理想であって、現実的ではないと思うのです。そんな「理想」を実現しているように見えるヨーロピアン老夫婦達は、夫も妻もどこかで無理しているのか、それが消去法で残った選択だったのか、僕は、それが最善の選択には思えないのです。「そうあるべき」という理想に縛られているように思えるのです。
僕の偏見だと言われればそれまでですが、「I LOVE YOU」を連呼する欧米人的価値観との違いがここに出ていると思います。
人間関係も諸行無常
僕は、学生→社会人と歳をとるたびに、周りの人達が変わってきました。もちろん、僕が変わったからこそ、周りの人達も変わっていきました。地元の小学中学の友人は、今では、ほとんど繋がってません。
「今付き合いのある人達を平均したのが自分だ」と言いますが、正しくその通りです。
友達も、知り合いも、彼氏も彼女も、先輩も後輩も、上司も部下も、皆んな、時間が過ぎると変わっていくんです。その時々の自分に合った人と付き合いながら、時間が過ぎると、その人達と離れては、また別の人との関係性を持つのです。
人間関係は「諸行無常」なわけです。
僕は「永遠の愛」とか「一生の親友」などの表現は好きでなくて、平気でそんなことを口にする人は、逆に胡散臭く感じます。
極論すると、お互い合理性がないと繋がれないと思うのです。社会人になれば、日々時間に追われますので、そんな中で、お互い時間を割いてまで「とりあえず飲みに行くか」ってのは難しいんですよね。
変わらない唯一の人間関係
そんな変わりゆく人間関係の中で、唯一変わらないのが「夫婦関係」です。結婚とは一種の契約ですから、皆んなが皆んな、そんな気分や状況に応じて、コロコロ変わってしまうと(離婚&再婚)それはそれで、社会全体の問題ですので良くありません。
結婚しない若者が増えているのは、この「変われない人間関係」を、本能的に毛嫌いしているのもあると思うんです。皆んな、それを薄々感じていても、口に出せない状態なんだと思います。なぜなら、結婚は良いことだし、家庭を持つことは社会的意義があるものと分かっているからです。
いつまでも「仲の良い老夫婦」は理想なのか
以上、そんな穿った目で、パタヤのヨーロピアン老夫婦を見てしまう僕は、寂しい人間なのかなって思ってしまいます。
ですが、僕は、たとえ自分が、60歳、70歳、80歳になっても「夫婦でのんびり」とかでなく、何かに打ち込んでいたいと思います。老夫婦で、ベタベタは勘弁ですね。笑
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