自動翻訳が発達しても、語学学習は廃れないし、価値があります。中国語と英語を学んできた、海外商社マンの僕が、語学習得の「付加的な3つの価値」を解説します。
この投稿を見終わった時には「やっぱり英語勉強し直そう」って思えるかもしれません。
そして、語学を勉強中のあなたにも伝えたい。大丈夫、今、あなたが、勉強している、英語も中国語も、意義や価値があります。
どんなに自動翻訳が発達しても、無駄にはならないです。
■こんな方にオススメ
・語学学習に疑問がある
・海外留学を考えている
・日本語だけで生きていくと決めている
学習理由が「就職に有利だから」「これからグローバル社会だから」でも良いんですけど、それだけじゃないんですよね。あえてそこは語りません。
僕は、外国語を学んで人生が劇的に変わりました。学習を続ける中で、その「付加的な3つの価値」に気付かされたのです。
目次
付加価値① 想像力がつく
言語は、相手とコミュニケーションを取るときに使いますよね。
相手の考えていることが分かる、こちらの考えていることが相手に伝わる、そのやりとりを「言語」を使って、コミュニケーションを取ろうとしますよね。
日本語を、母国語とする僕たちは、日本語という「言語」が、あまりにも便利すぎて、コミュニケーションのほとんどを、日本語に頼ってしまっています。
当たり前すぎて、日々意識できないのですが、円グラフにするとこんな感じです。
日本人同士のコミュニケーション
日本語ですと、自分の思っていることが、言語化しやすいですし、また聞き取りも問題ない。だから、コミュニケーションツールの70%が日本語になります。
でも、言語を介さずにでも、相手の考えていることが分かることもありますよね。相手の仕草、雰囲気、顔付など、または、その場の「流れ」だってある。
お母さんが、掃除機をかけていたら、言語がなくても、ソファを移動させてあげたりとかできるでしょ。それは「お母さんが掃除機をかけている」という流れから、「ソファの下も掃除したいだろうな」って、お母さんの気持ちを読んだんですよね。
また、お母さんは、週末は、アサヒビールを飲むって知っていれば、その経験値をもとに、言われなくても、買ってきてあげたりできますよね。
外国人とのコミュニケーション
しかし、外国人と外国語のコミュニケーションだと話は違います。
第二ヶ国語の外国語は、自分の気持ちを表現するには完璧じゃない。コミュニケーションを、外国語だけに頼れないのです。
外国語30%、雰囲気20%、顔付10%など、言語以外の割合が、必然的に増えてきます。そして、話す時もですが、聞く時も、気を張ってないと理解できないのです。
例えば、何気なく日本のテレビを観るとしますね。ぼーと、してても、ある程度、理解できます。しかし、外国のテレビ(字幕なし)を観ると、日本語のようにはいきません。常に頭を回転させていないと、理解できないのです。
この頭を回転させているのは、実は、言語自体を理解しようとしてるだけでなく、それ以外の部分(雰囲気、顔付、流れ)の二次情報も取り入れつつ、話している人が、何を考えているのかを理解しようとしているのです。
そう、すなわち「想像力を働かせている」のです。先ほどの円グラフの外国語以外の部分70%は、実は、想像力で、カバーしているのです。
外国語のコミュニケーションでは、想像力が養われるのです。
実は、これが外国語を学習する上で、最大の副次的価値なんです。
全ては「想像力」に左右される
組織の中で、生きていくには、何が一番大切だと思いますか?
「コミュニケーション能力」と答える人が多いですよね。
僕も、そうだと思うんですが、もう少し掘り下げると、コミュニケーション能力とは「相手の考えていることを想像する力」なのです。決して、面白い話ができるとか、聞き上手とかではない。
相手の非言語情報(雰囲気、顔付、立場、背景)も収集しつつ、相手の考えをいかに想像できるかが勝負なのです。
ドラえもん道具があれば…
ドラえもんの秘密の道具で「ウラオモテックス」という、相手の建前と本音が分かるものがあります。
もし、この道具があれば、営業しても、恋愛しても、最強ですよね。お客さんが欲しているモノ、持っている予算が分かったり、好きな子が、今何を考えているのか(甘いものが食べたいのか、キスしたいのか)分かるわけですから。
このウラオモテックスまでは、いかないまでも、外国語コミュニケーションは、相手は何を考えているのか?という想像力を鍛えられるのです。それさえ出来れば、世の中、何も怖いことないですよ。
全ては想像力の勝負
外国語を自由に操れる人、外国語で仕事している人は、優秀な人の割合が多い。
それは、外国語が出来るから優秀なのではなく、外国語を学ぶ過程で、想像力を鍛えられたからこそ、いつでも結果を出せるのだと思うんです。努力家だったりもしますしね。
高学歴の人だって同じです。難関校に入るには、努力はさることながら、難解な問題をみたときに「出題者は何を考えているのか?」という想像力を働かせて問題を解いているんです。
読書家も「筆者は何を考えているのか」
将棋指しも「相手はどの手を指そうとしているのか」
結局は、想像力の有無で、世の中、全ての勝負が決まってしまうのです。
僕だって「読者は何を求めているのか」と想像をしながら、この投稿を書いているわけです。※想像できてないかもしれませんが、、笑
付加価値② その国の文化を知れる
言語は、その国の文化そのものなのです。
いくら、三国志や中国史を勉強しても、中国を理解するには「中国語を会得する」のが早いんです。
例えば、中国語で「差不多(Cha bu duo)」という単語があります。
本来の意味は「それほど差がない」なのですが、中国人は好んで毎日のように使います。日本語には無い単語です。
こういう曖昧な単語を使うのは、それだけ中国は「いい加減」ってことです。中国人は、日本人のように、繊細ではないのです。
魯迅が言いたかったこと
中国の思想家・小説家である魯迅(ロジン)は、日本にも留学経験がある。そうして、中国は、このままではいけないと「差不多先生」という短編を残しています。
著書名を、直訳すれば「ミスターいい加減」でしょうか。こんな冒頭から始まります、、
あなたは、中国で一番有名な人「差不多先生(ミスターいい加減)」を知ってますか?見た目は、あなたと、差不多(ほとんど同じ)です。
このミスターいい加減は、何事においても、いい加減なのです。
- お母さんから頼まれた買い物を間違っても
- 発音の近い県名を言い間違えても
- 仕事で千字書くところを十字書いても
- 電車に乗り遅れて、出発が翌日遅れても
→口癖のように、そんなの差不多だろう(大して変わらん)と言います。
そうしているうちに、急病で、自分が倒れます。医師を呼んだのですが、間違って、獣医を呼んでしまうのです。
5. 獣医も、医師も、大して変わらんだろう
と言って、牛用の注射を打つと、容態が更に悪化してしまいます。そして、死ぬ間際に、
6. 死ぬのと、生きるのも、大差ないだろう
と、死んでいくのです。そして、この「ミスターいい加減」は、中国で伝説となります。崇めたつられるのです。日常生活もいい加減でいい、計算も適当でいい、人生も適当でいい、死ぬのも生きるのも適当でいい、と、尊敬の対象となります。
そんな伝説が、中国全土に広がり、たくさんの人々が「ミスターいい加減」から生き方を学びました、、その結果、中国という国家が、一人の「怠け者」となるのですと、短編は終わります。
魯迅は、中国人のいい加減さを、痛烈に批判しているのです。
僕は、中国語を学んで、中国に住んで、中国人と生活を共にして、「差不多」という言葉も使いこなします。そうして、愛国主義者であるはずの魯迅が、この短編で何を言いたかったことが、理解できました。
当時の中国は、日本と比べても劣っており、これだと中国はダメだと、感じたんですよね。
僕が、このように感じ取れるのは、中国語を学んだからなのです。こんな異文化理解が出来るって、素晴らしいことじゃないでしょうか。
過労死、改善は日本語だけ
逆に、日本語にあって、中国語にないのは「過労死」でしょう。中国では、働きすぎて死ぬなんて考えられないから、言葉が存在しないんです。
また「改善」は、日本語から世界に通じる言葉になった日本文化です。英語の辞書でも、Kaizenってあるんですよ。日々の現場での改善が、トヨタのような世界一の自動車を作り出すのです。これは、日本が世界に誇る文化でしょう。
外国語って、その場のコミュニケーションツールだけでなく、良くも悪くも、その国の文化そのものなわけです。
なぜなら、その国で使われない単語は、そもそも、その国では存在しないんです。ヨーロッパの国々では、男性語・女性語があったり、タイ語には過去形がなかったり、日本と韓国には、敬語があったりと、それらには、全てその国の特有の文化が詰まっているのです。
語学とは、その国の文化・歴史・精神構造をも学ぶことなのです。
付加価値③ 国際恋愛ができる
自動翻訳が発達しても、電子機器を介して、恋愛は絶対にできないでしょう。
人生は一回きりです。外国人と恋愛できるのも、語学のメリットではないでしょうか。
Google翻訳を使って、国際恋愛している人を、僕は見たことがないです。いや、絶対無理でしょう。生の言葉、生きた言語だからこそ、伝わることってあるのです。
詳しくは「誰も教えてくれない国際恋愛の5ヶ条」をご覧ください。
まとめ
「想像力がつく」
「その国の文化が知れる」
「恋愛ができる」
3つ理由を述べましたが、最も重要なのは「想像力」です。
ぜひとも、語学学習から、皆さんも、想像力を強化してください。他者と、生きていく上で、この能力だけは、絶対に必要になってきますから。
See you tomorrow.