「アジア戦略室」に、ご訪問いただきまして、ありがとうございます。ここで、お伝えしたいメッセージは、たった1つです。
「海外に出よう!」です。ホントにそれだけです。
僕は、中堅商社に勤めてます。留学や仕事なども入れて、トータル10年を超えました。そこから出てきた、今のところの結論が、人生を豊かにしたいなら、海外に出た方が良いです。
僕の実体験もふまえて、その理由を、もう少し深掘りして解説してきますね。
■こんな方にオススメ
・海外で働きたい、留学したい
・日本から出たことがない
・海外かぶれした留学経験者が鼻につく
目次
グローバル化 = 英語の勉強?
ここ20年ぐらい「グローバル化」が、全ての会社においての経営戦略となっています。海外進出しなくても、海外から輸入したり、海外にモノを売ったりと、全ての会社が、何かしら海外と関係を持っています。
これからは、企業だけでなく個人のグローバル化も、当たり前になってくるでしょう。海外を知らない、パスポートもない、そんな人は、肩身の狭い思いをすることになります。
だから、英語を勉強しよう、TOEICの点数をあげよう、となるのは、安直な行動です。間違ってはないのですが、もっと根っこの部分、個人が海外に目を向けるメリットは、もっと別にあったりします。
日本が最強です
先に断っておきますが、日本が世界で、1番住みやすい国です。
安全ですし、コンビニでトイレ借りれますし、水も飲めます。
物価もさして高くない。こんな素晴らしい国は、他に無いです。
留学経験者が「だから日本はダメなんだ」みたいな言い方しているとイラっとします。
それでも、海外に出た方が良いと、僕が主張するのは、
日本だけにいると、知らず知らずのうちに、そこの価値観に染まってしまうからです。
「いやいや、自分は、個性があって、そんな価値観に染まってない。オレはオレだ」と言う人こそ染まってます。これ、何が悪いかというと、1つの価値観に染ると、判断力が鈍るのです。
本当は、右に行った方が良いのに、過去の経験(1つの価値観)が邪魔して、左に行ってしまう、とかね。その凝り固まった価値観を、マッサージしてくれるのが、海外だったりするわけです。
ミャンマーで見た光景
2016年、僕は、ミャンマーの田舎(カレン)に行きました。
実はここは、外国人が入れないエリアだったのです(過去形)
ミャンマー政府は、安全上の理由等から、国境と接している州を中心に、外国人の立ち入りを禁止する「旅行制限区域」があります。少数民族との戦闘がいまでも続いているからです。
ミャンマーの友人が「オレの田舎は、外国人が来れるよ。中学校の時の先生が西洋人だった」という理由で付いていったのですが、後で調べると、バリバリの制限地域でした。
衝撃的だったのですが、電気、ガス、水道がない集落だったのです。ミャンマーは、長く鎖国していたため、近代社会から取り残されていたのです。
当時、世界でコカコーラが飲めない国が、3つだけある(北朝鮮、イラン、ミャンマー)と言われてたその一つですからね。※タイから輸入されたコカコーラは売られてました。
家の作りも、なぜか、片側に壁がないのです。シルバニアファミリーのお家みたいでした。友人宅は、小売りをしていたので、外から家の売り物が、みえるように(?)そうなってたのかもしれません。
わざわざ遠くから来てくれたので、、と、カエルを出されたのですが、さすがに食べれませんでした。
井戸から水を汲むのですが、あきらかに濁っていて、生水も怖くて飲めませんでした。
スマホの充電は、車のバッテリーに導線を繋いで使うのです。こんな使い方、生まれて初めてです。
「蛇がいるぞ!」という時間の使い方
そんな時に、ある村人が「あっちで、蛇がいたぞ」という話を持ってきまして、その辺にいた、大人達が、棒やら網やら持って、蛇がいるところへ向かって行ったのです。
僕は、これを、その場で見てまして、吹き出しそうになりました。
どうして、平日の真っ昼間から、蛇が出た!と、いい歳した男達が「捕まえるぞー」と、そっちに向かうのか。小学生のノリですよ。
この光景は、日本では絶対見れないんです。
僕はというと、商社マンという立場上、毎日、時間に追われており、いかに効率的に動けばいいのか?をいつも考えています。それは、仕事だけでなくプライベートも全てです。
ですが、目の前のミャンマー人たちは、同じ人間なのですが、僕と同じ時間感覚では生きてないんです。ギリギリまで身を削って仕事をしている自分が、ちょっとバカらしくも感じました。
合理的に生きる息苦しさ
僕は、合理主義者でもありまして、全てを効率化すればするほど、得られるリターンが多いという価値観で生きているのですが、彼らミャンマー人は、全く違いました。みんなで、蛇を追いかけるのですからね。
実は、この時、ミャンマーに行ったのも「定期預金が8%になる」というのを聞きつけて、200万円を現金で持って行ってたのです。僕には、ミャンマーへ行くの1つとっても、自分を納得させるために、それなりの理由(メリット)が必要なのです。単なる「旅行だけ」では、ダメなのです。
自分の行動にも、合理的な理由が、必要なのです。かなり窮屈な性格ですよね。そんな自分の価値観が、この蛇事件があってからか、少し肩の力が抜けた感じがしました。仕事もプライベートも、精神すり減らしてまで、頑張らなくてもいいんだ、と思えるようになりました。
また、今いる会社では出世できそうもない、と薄々感じ始めた時期でして、自分なりに、いろいろ思い詰めるところがありました。
会社だって、同じような人たちばかりと生活していると、仕事頑張らないといけない、出世しないといけないって、価値観に染まってしまって、そこに苦しんでいたのかもしれません。今思うと、そんな小さなこと気にしてた自分って、バカだったなぁって思います。
「過労死」は理解されない
日本では、仕事に詰まって、過労死する人だっていますよね。逆に、この過労死は、東南アジアの人たちには理解できないのです。彼らからすると、
死ぬほど、辛かったら、どうして、その仕事を辞めないのか?休まないのか?
と、疑問に思うわけです。
しかし、僕も、それなりの激務をした経験がありますので、過労死する人の気持ちが分からなくもないです。でも、それって、日本の「仕事は完璧に。家族のため、会社のために、死ぬほど頑張らないといけない」という、日本の集団的価値観に、支配されているからなんです。
1つの価値観に染るというのは、宗教と同じで、その集団の中だけのことに目がいってしまって、他のことを考えられなくなる、とても危ない状況なのです。
宗教の問題を1つあげるとすると、同じ宗派の信者が、教会など、閉ざされた環境下で、同じような価値観の人と、長時間過ごしてしまうことなんです。
会社=宗教という投稿はこちら↓
宗教は、宗教と呼ぶだけあって、ある程度、警戒できますよね。しかし、それが「国家」であったり、「会社」「学校」「家族」であったりすると、どうでしょうか?ガードが下がってしまって、それら価値観に、飲み込まれてしまうのです。
人間は環境の生き物
僕は、誓ってもいいですが、過労死みたいなことしないし、横にならえという同調圧力に流されて苦しんだりもしません。なぜなら、今まで、日本以外の価値観と、たくさん触れてきたから、それなりに免疫がついてるからです。
日本文化には良いところがいっぱいあります。
でも、それら全てが完璧で、どれもが素晴らしいとは思いません。
日本の何が良くて、何がダメなのか。それを、自分の尺度で再定義してあげないといけません。
「人間は環境の生き物だ」と言われるぐらい、環境に支配されてしまってます。自分だけのオリジナリティな考えだ、と言いつつも、実は、周りの環境に影響されて出てきた考えだったりします。僕だってそうです。
今いる環境を再定義する、一番てっとり早い方法が、今いる環境から距離を置くことです。そうして、異なる価値観に数多く触れることで、自分の現状を、客観的にみれたりします。
日本を飛び出して、自分と違った価値観にガチで触れること、そうすると、色んな発見と発想が、そこから生まれるわけです。多様性や免疫力もつきますよ。ここに「海外に出る」価値があるんですね。
これは「グローバル時代だから英語が大切だね」っていう、薄っぺらい表面的なものでなく、もっと、自分の人生のあり方、価値観の捉え方、みたいな根源的な部分だったりします。
See you tomorrow.