うがいしない夫、詰め寄る子たち 家族にコロナ意識の溝:朝日新聞デジタル https://t.co/PMUkt0HWX4
— 室長@海外商社&YouTuber (@SHITSUCHO2019) February 5, 2021
新型コロナウイルス対策を巡り、家庭内で意見が分かれるケースが出てきている。マスクの着け方、手洗いの頻度、外出の是非といった面だ。二宮弁護士は「正しく知って話し合うことが大切」
我が家も似たような状況です。
この弁護士は「正しく知って話し合うこと」と言いますが、未知のウイルスですが、何が正しい情報なのでしょうか?と問いたい。
これは、科学・非科学を超えた「コロナ観の差」の問題なのです。
この「観」とは、価値観、宗教観、歴史観と同じです。
要は、たとえ、まったく同じ事実を、2人の人間が知ったところで、その2人は、「違う、真理を観じる」のです。
だから、話し合おう、正しい情報を知ろう、とか言うのは、いかにも、学校の先生や学級代表、平和主義者が言いそうな「言葉遊び」でしかない。これこそ理想論であり、空論なんです。
目次
○○観という根拠無視の主観
この「観」への思い入れ、こだわりは、僕は人一倍ある方です。自分の中では、結論も出ています。
宗教観の違いで、僕は、10代後半、生物の教科書を持って、教会に通って、牧師に詰め寄ったこともある。
20代中国留学時に、他の留学生との歴史観の違いについても、深夜まで熱くなったりしました。
で、分かったことは、たとえ、たった一つの真実が過去や現在に、あったとしても、その真実に対して、個々の「観」が違うと、絶対に相容れないってこと。
牧師に、何言っても、進化論は受け付けられないのです。
人間が誕生した真実は、1つだけです。しかし、どんな証拠を並べても、絶対に受け入れられない人も、存在するのです。※創造説を否定しているわけではないです。
だから、コロナ観が違うといって、家族で話し合い、正しい情報を、共有する必要はないんです。やったとしても無駄です。
大切なのは、自分と違う価値観を持つ相手を尊重することです。意見は、平行線でいいんです。それが家族間であったとしてもです。
↑この感覚を持てないと、相手を非難したり、全否定したりしてしまうんです。
まとめ
総括しますと、今晩、寿司食べるのか、焼肉にするのか、家族間で話し合っても、結論でなかったりしますよね。ずっと平行線のパターンです。
寿司と焼肉、どっちが、正しいかなんて、不毛な争いです。
コロナ観も、それと同じです。「家族間で、よく話し合ったら良い」というのは、トンチンカンなアドバイスなのです。
See you tomorrow.