僕は、観念論が大嫌いです。
哲学者デカルトが唱えた「我、思う。ゆえに我あり」です。
在る物とは自分が在ると思うから存在する。自分が思わなければ、たとえ目の前に見えているの物でも存在しているかどうか分からないのではないか?というのが観念論です。
自分が「思う」ことが根源になるんですね。
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バチなど当たらない
もう時効なので、昔話をしますと、僕は神社にある「神木」に小便をかけたことがある。
「そんな事すればバチが当たる」と言われましたので、バチが当たるのか実験したわけです。
結果、特別な災難はなかったです。
神木も、ただの植物だと考えれば、人間の小便は栄養価が高いはず。糞尿を肥料にするのと同じです。
そう考えると、神木は、小便をかけられて実は、喜んでたのかもしれません。
この「バチが当たる」というのが観念論なんです。観念論者は、世の中に、山ほどいるわけです。実は、そこに「歪み」が生まれます。「歪み」を「チャンス」と言い換えてもいいです。
不動産価格の歪み
先日、市場価格の半値ぐらいの中古不動産を発見しました。
問い合わせてみると「前の持ち主が自殺した事故物件で、相場より安くなってます」と。自然死は何もないのに、自殺は事故物件扱いって、おかしいですよね。
ここでも同じことです。観念論者が多いがゆえに、不動産価格までも歪みが出てます。
僕にとっては、その不動産の柱や水回りがしっかりしているかが重要でして、自殺とかは、まったく気にならない。
気にならない人にとっては、特価で不動産が買えるわけですね。
家族に事故物件を購入したいと言うと「絶対、住みたくない。パパ1人で住んだら?」と。我が家にも、観念論者が多くいます、、なんとか説得せねば。
See you tomorrow.