一生懸命、働いて、年収を上げるのがバカバカしく感じます。何故なら、日本社会は、低所得者有利に設計されているからです。サラリーマンとして、中途半端に稼ぐのが、一番損するのです。
上場企業の商社マンだと稼いでるんでしょ?と思われますけど、そんなことないです。
37歳、年収750万円です。うち税金関係で、ここから150万円は引かれてしまいます。専業主婦の嫁と、子供3人を養ってます。
このまま社会のレールに乗ってると損するのでは?という危機感があるのです。
何もアクションせずに、このまま流されてしまうと「社会的袋小路」に入り込んでしまい、身動きがとれなくなってしまいそうなのです。いたって一般的な家族構成だと思いますが、ここには「大きな落とし穴」があるように思えるのです。
年収○○○万円に気を取られがちですが、それは違うと思うんです。
年収を追い求めた結果、自分の時間や自由がなくなり、支出も増えるのであれば、本末転倒ですよね。頑張ったら頑張っただけ、苦しくなっていって、追い込まれていくように感じるのです。
この辺りを、詳しく掘り下げていきますね。
■こんな方にオススメ
・社会のレールに疑問を感じる
・真面目に働いても貯金ができない
・専業主婦の嫁と子供がいる
うちのケースだと、そこそこの年収があって、3人子供がいて、嫁が働いていない。この条件が、非常に不味いのです。もし嫁にも、僕と同じぐらいの年収があったり、子供がいない家庭(いても1人)であれば、戦略は違ってくるはずです。
このチャンネルは「個人の海外進出を応援する」という表向きの目的はあるのですが、もっと、根っこの部分、裏テーマとして「人生を前向きに選択していく」があります。
どうか、最後まで、お付き合いお願いします。
目次
大学費用1,500万円
子供1人を、国立大学へ進学させるのに、500万円もかかります。入学金、授業料、生活費諸々の4年間の合計ですね。うちは子供が3人いるので、計1,500万円です…。私立に行ったり、浪人・留年・留学すると、更に増えるでしょう。考えるだけで恐ろしいですよね。
僕の労働収入で、これから1,500万円を用意するのは不可能なのです。
ぶっちゃけ告白しますと、僕の貯金が1,000万円を超えたのは、新卒から、働き出して10年目でした。年間100万円ペースですね。この計算でいくと、子供達の大学費用だけで、僕の15年分の貯蓄が、吹っ飛んでしまうのです。
しかし、2020年4月から開始された「高等教育の無償化」を利用できれば、授業料免除や給付として、これらが全てタダになるわけです。
今回の無償化は、返却不要の給付も含まれるのです。これがすごいんです。大学に通いながら、国から生活費をタダで支給されるのです↓
入学1年目に、初年度最高183万円も援助が受けられるのです。詳しくは、この記事がわかりやすいです。
しかし、ここには、年収制限があり、親の稼ぎが、そこそこ有れば、これら恩恵を受けれないのです。残念ながら、今の僕(年収750万円)だと対象外なのです…
頑張って年収を上げた結果が、恩恵にあずかれないって、矛盾してません?※低収入者が頑張ってないと言う意味ではないですよ。
子供たちに、返済義務のある奨学金(借金)を負わせるという手もなくはないですが、そこまでして、大学行く価値ってないと思います。現に、僕は、いまだ毎月奨学金返済続けており、もし、この返済がなければ、もっと楽になってたはずですよね…。
低所得者が得する日本社会
自分の源泉徴収をみても思うのですが、年収が増えても、納税額も自動的に増えるのです、累進課税ですね。
高等教育の無償化もそう、健康保険料もそう、年金だって、医療費だって、ぜーんぶ、年収と共に、負担額も上がってしまうのです。
ここで、発想を180度変えてみたい。
僕の所得さえ低くなれば、これらの負担が減免されるわけですよね?だったら、戦略的に低所得化すればいいんですよ。
税金だけの話を引っ張りますと、実は、年間所得98万円以下ですと、所得税・住民税・年金が全てゼロ円になるのです。国から「この人は、低所得者なので、かわいそうだ」と思われるわけです。
- 所得103万円以下は所得税0円
- 所得98万円以下は住民税0円
- 所得112万円以下は年金0円
- 所得98万円以下は国保2万円/年
※年金は、猶予でなく免除です。老後の支給額は下がりますが、それでも、払わなくても、もらえるのであれば、それにこしたことないですよね。詳しくはこちらを参照ください。
日本という社会インフラが完璧に整った国に、ほぼ無税で生活する、これこそ、実質的なタックスヘイブンではないでしょうか。
という質問が飛んでくるかもしれません。
ポイントは、所得基準であって、年収ではないところです。個人事業主となれば、収入 – 経費 = 所得 となりますので、合法的に、所得はいくらでも調整できてしまうのです。
田舎で百姓になる
では、具体的に、どうすればいいのか?
田舎に、200万円くらいの古民家を買います。そこで、家庭菜園で、半自給自足をしながら、年収200万円(所得98万円以下)に抑えるんです。嫁にもパートに出てもらってね。そうすると、立派な住民税非課税世帯ですよね。
そう、現代版「低所得百姓」を目指すのです。
古民家+家庭菜園にこだわるのは理由があります。住宅費と食費が、なければ、生活するのに、そこまでお金が掛からないのです。
総務省平成16年度の調べですと、どの年代を見ても、食料と、住居費が、総支出の半分近くを占めるのです。
午前中に、キャベツや、大根、人参などを家庭菜園をして、午後から、YouTube撮ったり、ブログ書いたり、好きなことするのです。小さな学習塾を経営したっていいですね。それら、副業で、小銭を稼ぐのです。
今ある金融資産(1千万円強)からも、配当金や値上がり益も少しは見込めるでしょう。
そうして、年間の支出を極力減らして、その支出と同じぐらいの収入を得ます。支出と収入を同額にする現状維持とするのです。
そうすると、今ある、金融資産は丸々残りますよね。
社会的立場が支出を増やす
仮に、このまま社会のレールに乗るとしますね。そうすると「上場企業の商社マン」として、それなりの振る舞いが求められるでしょう。その振る舞いのための支出が大きいんです。
家もそこそこの広さ、クルマもそれなりのもの、着る服も、子供の教育も、接待や会食、ゴルフなどもそれなりに、こなしていかねばなりません。住む場所も、本社の近く(大都市)でしょうから、家賃も高くなる。
稼ぎはあるのですが、支出も同じように増えて、結局、手元にお金が残らないのです。高収入者の敵は、高額納税だけでなく、この社会的立場の維持費だったりします。
って思われるかもしれない。そうはいかないのです。悲しいかな、社会的立場が、それなりの支出を生む構造からは逃げれないのです。
もし、あなたの母親が、癌の手術をするって、なった時に、主治医が軽トラック乗ってたら、どう思いますか?「この医者大丈夫か?」って心配になりませんか?それと同じなんですね。
社会的立場さえ変えることができれば、支出も抑えることができるのです。ユニクロのシャツに作業着ズボンで、中古の軽トラ走らせてるような立場になれば、ビジネススーツや、革靴、名刺入れ、髪型から見た目にも気を遣う必要なくなるのです。
お金と時間の価値観逆転
働き方改革とは言いつつも、そこそこの規模の会社で管理職を続けるとなると、労働時間も増え、自分の時間は減る一方です。こんなブログを書いてる気力も時間もなくなります。
「商社マン」という社会的立場を維持するために、自分の時間を犠牲し続けるのは、ちょっと違うと思うんです。人生を楽しむ、自由度を求める、僕の理想からすると、本末転倒なのです。
「現代版 百姓」になれれば、時間の余裕もできますよね。
僕が、責任持って、子供たちに、大学入試までの勉強を教えてあげることだってできる。子供たちは、塾に通う必要がないので、支出を抑えられます。僕にとっても、勉強し直せる良い機会ですよね。
20代、30代前半には意識しなかったですが、40歳に近づいてくると「お金」と「時間」との価値基準が変わってくるのです。
若い頃は、お金を手にしてやりたいことが多かった、だから、自分の時間などそっちのけで、アルバイト掛け持ちしたり、仕事にも没頭できたのです。
しかし、残された人生が短くなってくると感じ始めると、お金より時間の方が、重要性が増してくるのです。お金で買う満足度より、有限な時間を、もっと有意義に使いたくなるのです。
プライドを捨てる
現代版百姓の道を進むのであれば、今まで積み上げてきたプライドは捨てないといけません。
国立大卒、留学、上場企業、海外赴任、商社マン、、その全てですね。そうなると、地元には何となく帰りにくくなるでしょう。
商社勤めが偉くて、百姓が下だというのではない。
自分が積み上げてきたことを、リセットしてしまう怖さがあるのです。海外に焦点を当てて生きてきた自分を否定するわけですからね。後悔しないかな?とか不安になります。
37年間を振り返っても、順風満帆とは言えなかったです。途中、苦しい時も有りました。しかし、自分を信じて、それなりに乗り越えてきたつもりです。嫌なことも、我慢してきました。
でもね、人生100年時代といわれます。ベストセラー「ライフシフト」にはこのように書かれていいます。
人生が短かった時代は「教育→仕事→引退」という生き方で問題なかった。しかし、寿命が伸びれば、2番目の仕事のステージが長くなる。引退年齢が、70歳〜80歳になる。多くの人は、思っていたより20年も長く働くのです。
仕事期間が長くなるのであれば、ひと休憩入れてもいいと思うんです。著者は、大学に戻って学び直したり、別の2〜3のキャリアを持つことを推奨しています。
人生が長いのであれば、息子が大学進学するまでの、これから13年間だけでも、田舎で、農業しながら、子供との時間を大切にして、のんびり暮らしてもいいかなと考えてます。
社会貢献は納税額だけじゃない
意図的に、所得を減らすと、納税額は減りますよね。
と言われるかもしれません。僕は、別に日本経済のために生きているわけでないし、極論すると、自分のためだけに生きてます。個人主義者、エゴイストです。
ここで、物の見方を少し変えてみたい。
僕が、百姓になって、子供たちとの時間を大切にし、子育てに向き合って、彼らが勉学に励んで、将来羽ばたいて、日本という国に納税したり、恩返しすればいいじゃないですか。
こうしてYouTube更新して、それを楽しんでくれる人が1人でもいれば、これも、それはそれで、社会貢献でしょう。
今では、毎週末、僕はボランティアで、子供たちにサッカーを教えています。コーチですね。練習が終わると、保護者や生徒から「コーチ、ありがとうございました」と感謝されるのです。
僕は、そんな大したことしてる意識はないです。ダイエットになるし、息子もチームに入ってるので、引き受けているだけですが、感謝されると、ものすごく良い気分になります。これも立派な社会貢献ですよね。
何が言いたいかというと、年収を上げて、納税額を増やすだけが、社会貢献じゃないってことです。
忙しい商社マンやってる時など、ボランティアなど考えたこともありませんでした。コロナ禍が、僕から日々の忙しさを奪い、自由時間を与えたために、僕の考えが変わってきたのです。
現代版百姓になったら、このチャンネルも「アジア戦略室」じゃなくて「元商社マン脱サラ農家室」って改名しないとなりませんよねw
まとめ
1. 年収を上げると支出も増える
2. 低所得者が得する
3. 商社マンより百姓の方が得?
4. 時間とお金の価値が逆転
5. 社会貢献は納税額だけでない
日本社会の仕組み、自分の置かれた環境、それらを総括すると、目の前の仕事だけに一生懸命になるのは違うのでは?と僕は感じています。
皆さんは、どう思われましたでしょうか?コメントいただけましたら幸いです。
See you tomorrow.