健康主義は、新興宗教のようなもの。伝統的な宗教が力を失った現代は、人の生死にかかわる『健康第一』という宗教が、信仰を集めてしまうのです
(2020年10月11日朝日新聞)
「健康」は宗教 コロナ禍で加速、国が強制する危うさhttps://t.co/UKhjyfxVW7
コロナ禍でより強まる「健康至上主義」の風潮は私たちを窮屈にさせるだけなのでしょうか。医師の大脇幸志郎さんは、人生の楽しみを犠牲にしてまで健康である必要ないといいます。 pic.twitter.com/GxTK7ncdVb
— 朝日新聞デジタル@金のデジモ (@asahi_gdigimo) October 11, 2020
健康主義は宗教と同じ?これは僕のことです…
薄々感じてましたが、この記事を通して、大脇医師に診察された気がします(笑)
目次
信仰者は弱い人間なのか?
僕は、10代後半、ある伝統宗教に没頭していた時期があります。
と、当時、思ってました。信者達のあの強い信仰心は、一体どこから来るのか?もです。
教会に通って、わかったことは、彼らが、弱いからでもなく、神にすがりたい訳でもないんです。
物の考え方・自分の生き方・生死観に、絶対的な指針や価値観を持っているのが「宗教」なのです。その価値観を共有できる仲間や団体が、宗教団体なのです。
教会とは、同じ価値観を持っている人が集まっているだけです。そんな集まりあったら、気持ちいし居心地が良いですよね。
ここは、無神教者には、分からない境地です。僕から言わせると、無神教者の方が、実は、不幸なのです。
だって、お金や、仕事や、家族といった、ありきたりな、薄っぺらい指針を持ち出して「これが俺の幸せだ」って自己納得させるしかないわけですから。
伝統宗教の限界
しかし、伝統宗教には1つだけ弱点があって、科学の進歩によって、旧約聖書に、無理が出ています。
その結果、現代では、聖書をノンフィクション(真実)から、フィクション(虚実)として、語り継ぐしかなくなってきてます。
僕は、フィクションを受け入れないタイプなので、伝統宗教を受け入れられなかったんです。フィクションである小説も、基本読まないですし、やらせに近いプロレスも観ないです。
そこで登場したのが、僕のような「健康至上主義者」です。
健康至上主義
健康至上主義者とは、神に祈るのではなく、自分の努力だけに頼って、糖質制限して、運動して、睡眠管理して、自分のベストコンディションを維持することを目指します。
ラーメン、牛丼などの食の幸せを捨てることによって得られる、別の選択肢の多さに価値を見いだすのです。
自分自身の変化を、数値(体重、体脂肪、タイム)で測ることができる、ノンフィクション中のノンフィクションでしょう。
デジタル機器を使って自分の行動を記録して、常にフィードバックをかけて、数値で自分が判断する。数値の結果だけが、僕の絶対的な指針なのです。だから、医師のいうことも聞きません。
健康主義者が目指すところ
昨日も、ガチでサッカーを2時間もしました。これが、健康至上主義者が、目指す「状態」なのです。
いくら神に祈っても、サッカーできる身体は手に入らないです。日々、しっかり体作りしないと、ゴルフは出来ても、サッカーは無理なのです。体が引き締まれば、セッ○スにも前向きになれます。
このように、健康体を維持すると、出来ることの選択肢が増えるのです。選択肢が多いことは、それだけ幸せなことなのです。←これを価値とみなすのです。
同年代で、中年太りして、全く運動してない人を見ると「健康第一宗教」に勧誘したくなるのですが、いつもグッと我慢してます。どこまでいっても、価値観は自由であるべきですからね。
結論:絶対的な指針を持て
「自分の絶対的な価値基準を作る」これは、とても宗教的なのです。僕は、自分の絶対的な価値基準(=健康体である)を持ってますので、神の存在は不要なのです。
これ、危ないっちゃ、危ないですけどね。
See you tomorrow.