「日本はスゴイ」って気付いてますか?
なぜなら
「日本語」を自由に操れるからです。
当たり前すぎて、スルーされているこの事実を、深掘りしてきますね。そうすることで、あたなの意識が変わって、僕のように、少しでもポジティブになれるかもしれません(笑)
海外生活が長い、僕だからこそ、ここの利点を、正確に伝えられると思っています。
目次
他の動物と人間との違いは?
幻冬社(出版社)見城社長は、著書「たった一人の熱狂」でこんなこと言ってます
人間と動物を分けるものは何か。それは「言葉を持っている」という点に尽きる。人間は言葉で思考する。言葉を使って自らの生や死について考え、相手に想いを伝える。人を説得し、交渉し、関係を切り結ぶ。そして人生を前に進めていく。
そして、動物は言葉を持たない。本能に従って餌を食べ、交尾をし、死んでいく。彼らは生や死について考えることもない代わりに、他者と心が通じ合う喜びも感じないのだと。
僕たちは「言葉」を持つから、人間なのです。僕もこうして、自分の想いを、ブログに書いて、文字という言葉を通して、あなたに伝えようとしていますよね。
他の動物には出来ない特技なわけです。逆に、この言葉を使いこなせないと「ただのその辺の動物と同じ」っていうことなんです。
言語としての「日本語」
僕は、社会人一年目で、当時の上司に「営業だったら、もっと言葉を大切に使え」と指導されました。その意味が今では何となく分かります。
例えば「助けますよ」という表現ですが、その場の状況で「助けますよ」とは違った別の表現で、相手に「助けますよ」と伝えなければならない時があったとします。
まず第一に、相手の気持ちを想像することですが、その次は、その相手にどのように伝えるか?なんです。それは言葉を知らないと、言葉を大切にしてないと、相手に伝わらない(刺さらない)のです。
「お手伝い出来ることありますか?」「お困りでないでしょうか?」とか。この例は、単純ですが、もっと繊細な言葉を使わないといけない事って多々あります。どの言葉をどのタイミングで出すかとかですね。営業なんか、これが頭で整理出来てないと、相手に伝えきれないですよね。
そして、僕もそうだし、あなたも母国語は日本語でしょう。これ実は、超運が良いんですよ。
日本語は、漢字、カタカナ、平仮名など、かなり複雑です。複雑だからこそ、それら言葉を使いこなすには「繊細さ」が求められます。それは、小さい頃から自然と身につくんです。これは日本人の特権と思います。
外国語はもっとシンプル(表現が乏しい)
他国の言語と比較してみますね。
◆タイ語
過去形がありません。複雑な状況下で、どうやって過去形無しで、相手に伝えるのでしょうか?今でも不思議で仕方ないです。
◆韓国語
カタカナも漢字もなく、ハングル文字だけです。日本語に、例えると「橋」と「箸」も、同じ「はし」と表現しているようなものです。「きょうはしごとたいへんでした」とか、僕らからすると読みにくくて、仕方ないですよね。
◆中国語(方言)
中国の江西省で語られるローカル方言は、もっと単純でした。「食べる」と「飲む」を、全く同じ動詞で、表現されていました。語彙数が明らかに少ないのです。
言葉は、必要とされるから、現在まで残るのですが、中国別の田舎では「夢」という概念がないと聞いたことがあります。その田舎では、チャンスがないので、夢という単語自体が無いというのです。驚きですよね。
◆日本語
言葉が多い民族(日本人)と、言葉が少ない民族とでは、その民族の「全体の平均」からすると、思考の深さも違ってきます。言葉の多い方が、思考が深くなるんです。
僕は、ミャンマー、ベトナムなどの、少数民族の人と知り合いになりましたが、言葉の数はよく分かりませんが、彼らの思考は全体的に浅いと感じました。
日本語には「助ける」「救助する」「手を差し伸べる」と表現方法が多いですが、少数民族は「助ける」の一単語しかない。
そうすると、その場になって、日本人は無意識のうちに3種類の語彙から選ぶという「選択」に迫られます。自分で考えて決断しないといけないのです。
でも「助ける」だけの一単語しかなければ、そこに「選択」がなく、何も考える機会もなく、単に「助ける」と表現するだけになります。これを国民全体で、しかも毎日使われる言葉になると、積み重なって、そりゃあ思考の差は出てますよね。
書籍の数も違う
言葉を学ぶのに、1番効率が良いのは、読書です。活字を読んで、相手の言いたいことを理解しようとする、この訓練で自分の言葉が磨かれるのです。
日本ですと、大型書店に行くと、ものすごい量の本がありますね。紀伊国屋とかだと、全フロアが書籍だったりします。種類も豊富ですよね。
僕は、ミャンマーのヤンゴンに行った時に「ヤンゴンで、1番大きい本屋」という紹介を受けて、行ってみて、唖然としました。小学校の教室ぐらいのフロア面積しかないのです。しかもミャンマー語で書かれた書物は、全体の半分ぐらい。もう半分は英語でした。
こんな少ないミャンマー語の書物で、どうやって、ミャンマー人は、自国の言葉を学ぶのでしょうか?
英語が読めるのは良いことですが、それは、他国の言語(文化)であって、自国言語ではない。
自国の文化を学ぶには、その国の言語の方が良いに決まってます。言葉はその国の文化さえも表しているわけですから。
日本語は繊細 = 日本人の思考も繊細
「◯◯人は、△△だ」と、国籍でその国の人を表現はしたくありません。頭の良い人もいれば、犯罪者もいますので、人それぞれです。
しかし、これだけ複雑な言葉を持つ日本民族であるからこそ、繊細さがあるからこそ、自動車産業では、世界ナンバーワンの地位にいれたのだとマジで思います。自動車産業は、モノ作りの最高峰です。あれだけ細かい部品を組み上げて、理想の車を目指すって、大雑把な欧米人には出来ない離れ業なんです。
他の民族を下に見るというわけではないですが、我々は、超サイヤ人並みの言語能力を持っているのです。そんな「超ラッキーな環境にいる」ということが、認知できれば「このラッキーを自分の人生に活かそう」って思いませんか?
ミャンマー人が「学ぼう!」って決意しても、残念ながら、本もなければ、言葉も少ないので、ハードルは高い。でも、僕たちは違いますよね。「いかに自分たちが恵まれた環境にいるのか」というのを自覚することで、頑張れることってあると思うんですよね。
See you tomorrow.