伝染病に立ち向かった医学の父「野口英世」
子供のために買った学習漫画ですが、僕が感動してしまい、涙なしで読めなかったです。気付きが2つありましたので、解説したいと思います。
今回は、2本立ての構成です。
【前編】野口英世の何に感動したのか?
【後編】僕へのコメントに対する反論です。
これだけでは、ちょっと、分かりにくいかもしれませんが、絶対、後悔させませんので、どうか最後までお付き合い願います。
■こんな方にオススメ
・千円札の肖像が誰か思い出せない
・野口英世が何した人か知らない
・自分の意見を伝えるのが苦手
※以下「野口」に統一します。
目次
野口の生涯をざっくり
野口は、貧しい福島県農村で生まれます。1歳の時、左手を大火傷して、指先がなくなりました。左手が不自由なため、学校では、いじめられるが、その悔しさを勉強にぶつける。
ハンデを背負いながらも、尋常でない努力を重ねて、医師になり、研究者として、米国に移り、数々の伝染病の研究で功績を残し「世界の野口」となるのです。ノーベル賞候補にも2度選ばれます。
最後は、自身も黄熱病にかかり亡くなってます。そのような英雄死を遂げたため、偉人伝で美化されることが多いのです。
野口の墓には「彼は、その全てを科学に捧げ、全ての人々のために生き、全ての人のために死んだ」と刻まれています。
僕は、これら業績うんぬんよりも、野口の恩義を忘れない姿に心打たれました。
3人の支援を受ける
野口は、下記の3人から支援を受けて、ギリギリのラインをのし上がって行くのです。
母親
父親はアル中、働く母親に育てられました。母親は、手の不自由な野口に対して
近くのお巡りさんが漢文を習わせたり、和尚さんに英語を教えてもらったりと、少しでも野口の力になれるように奮闘する。
小林先生
貧乏だったので、進学出来ないはずが、当時の中学教頭小林先生から金銭的な支援を受け、指の手術をし、中学に進学させてもらう。小林先生は
と、野口の母親を説得するのです。「英世」の名付け親も、この小林先生。※改名してる。
血脇先生
中学を卒業後、東京の医院で住み込みで働きながら、そこの医院血脇先生に世話を受け、医師試験に合格、その後、米国行きのお金も出してもらう。
当時、日本の婚約者との婚約解消にも、この血脇先生がお金を出したようです。
恩義を忘れない
母親、小林先生、血脇先生に対して、野口はこんな恩返しをする。
母親
米国で研究を続けていた野口に、日本から博士の学位が送られたが、既に、野口にとっては、あまり価値のないもの。
同僚からも「今さら何を喜んでいるのか?」と不思議がられるのだが、野口は
日本で評価された自分の知らせを聞いた喜ぶ母親の姿を想像していたのです。
小林先生
小林先生の奥様が体調を崩した時、野口は医師だったので、東京から帰省し看病する。その甲斐あって回復する。
15年振りに、米国から帰国した際、母親と小林先生を連れて、親孝行もかねて、日本各地へ旅行に出る。米国からの手紙には、小林先生を「父親」と呼んでいる。
血脇先生
血脇先生が渡米されると、米国にいる野口が、何日も朝から晩までフルアテンド。血脇先生が米国で講演する時も、野口が通訳し「私の大恩人です」と紹介する。そして、極めつけは、当時アメリカ大統領ハーディングにまで会わせたのです。
血脇先生が帰国する際
と言われ、野口は、
と。海外移住すると分かりますが、訪問者のアテンドがとても大変なのです。せっかく、その人が遠くまで来てくれているので、楽しんでもらわないといけないと思ってしまいます。しかも、自身も忙しいので、そこまで時間を割けなかったりするのです。野口は、大統領までアテンドするなんて、、
自分の人生は自分だけでない
支援者の3名は、特に大成した人ではないです。歴史に名を残しているわけでもない。
しかし、野口は、大出世して「世界の野口」となっても、決して恩を忘れなかった、ここに野口英世という男の器の広さが、現れているのではないか。
この3人の支援がなければ、野口は片田舎で、普通の人生を終えていたと思う。彼の人生において、1人として欠けてはいけなかったはず。
野口は、他人が支援したくなるような、努力と才能、情熱、人望など、全て持ち合わせていたのだと思う。ただ単に「頭が良い」だけでは無かったんです。それらの素養があったからこそ、これは偶然ではなく、必然のサクセスストーリーになったのかもしれません。
自分の人生は、自分だけのものと思いがちですが、沢山の支援者がいてこそ、自分の人生なんですよね。恩義を忘れていけない。ここの部分について、考えさせられました。
母親に親孝行せねば…
僕は、兄弟3人の母子家庭で育ちました。母親は常に働いていましたし、それなりに苦労していたと思う。今から当時のことを母親に聞くと「目の前のことしか考えられなかった」と。
僕の思春期の頃は、それなりに大変だったと思うのですが、母親は辛抱強かったと思います。母親がいなければ、いまの僕はあり得ないわけですよね。急に、母親に親孝行したくなりました。
後編へ続く。
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See you tomorrow.