今日のテーマは「オナニーでは、何も変わらない」です。
なぜなら「オナニーの前と、後では、何も違わないから」です。
僕の全ての行動判断は「それはオナニーなのか、そうじゃないのか?」から考えています。実例を挙げて詳しくご説明させていただきます。
※下ネタではなく、真面目な話をしますので、そっち系を期待された方は、ここで動画をクローズすることをお勧めいたします。
女性の方も、気を悪くせずに、聞いていただけますので、ご安心くださいませ。
目次
オナニーとセックスの違い
まず、オナニーは、セックスとは違います。
セックスは相手がいるので、相手を気持ちよくさせたり、愛を深めたりなど変化があります、いわば、そこに価値が生まれています。
逆に、オナニーは、自分はひとりが満足する行為です。その後、何も変わらないのです。「今日もやってもうた…」と、少し罪悪感があるほどで、マイナス行為です。
一瞬の気持ち良さを求めるだけの刹那的なものですよね。
オナニー【動詞】
何も変わらない自己満足な行動
(室長辞書)
それを僕は比喩的にオナニーと呼んでいます。
これから、オナニーを連呼しますが、オナニーの行為を指しているわけではなく、自己満足のことですので、ご了承くださいませ(今までも言い過ぎかも…)
事例① デモ参加はオナニー
2005年、僕は上海に留学してました。当時、ちょうど反日デモもあり「留学生は外出を控えるように」と日本領事館から、留学生寮に、通達があったほどでした。
僕も若かったですから、政治歴史論争するのも好きで、よく中国人、韓国人ともあれこれ議論してました(今はしませんが…)
そんな時、ある上海人の女子学生から1つ教わりました。
みなさんも考えてみてください、、
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正解は、、
でも、上海人の方が、1番頭が良いの。なぜなら、政治より経済に関心があって、商売が上手いから。
これは、今でも、強烈に印象に残ってます。
これは、世の中の本質だと思います。政治的な話が好きな人って、自称インテリが多いのですが、実は賢くないんです。僕の周りを見渡しても、ホントそうでした。
何故なら、僕たちが生きている資本主義社会は、政治語っても、それはオナニー(自己満足)でしかないんです。
生産設備を持って、商品を作って売って、お金を得る、そんな資本家にならないと、豊かになれない社会なのです。
商売が得意とか好きとか関係なく、それが、この世の本質だから、理想論を並べたって、何も意味を成さないのです。
では、本気で、矛盾した社会を変えたければ、政治家を目指すしかないのですが、皆んな、そこまで出来ないのです。
だから、デモに参加するぐらいで、自分の時間を消耗させて、発散するオナニーの方向に走ってしまうんですね。その場、その瞬間は、気持ち良いからです。
それを、皮肉にも、社会主義国である中国上海人が、ちゃんと理解して、着実に富を成しているところは、流石だなと思いました。
デモに熱を上げている人を横目に、お金儲けを考える人が、資本主義社会では「正しい選択」なのだと思う。自分の影響のある範囲のみに労力を費やすのが正解なんです。
事例② 社会問題を熱弁するのもオナニー
先日、タイ人の友人から、
と、前置きをしたうえで、タイの不幸な現状を、アレコレと言われました。
・年金は月々3,500円しか貰えない
・親に仕送りする若者がほとんど
・35万円貯金するのに3年は掛かる
・大学授業料が払えなく留年する友人
それらを一通り聞いていた僕は、
と、心底思いました。口には出しませんでしたが。
僕は、全てが全て「自己責任」とする社会の空気も好きではありせん。タイなどでは、生まれた環境によって、人生が決まってしまうこともあるでしょう。自分の努力では、どうにもならないことなども。
しかし、それを愚痴っても、何も変わらないのです。世の中を批判するって、言ってる本人は気持ち良いかもしれませんが、聞かされてる周りは、うんざりするだけです。オナニーと同じです。
また、その社会批判の根拠となるのは、テレビで誰かが言っていたネタに過ぎないのです。テレビって、政府や政治を批判すると視聴率を稼げるのであって、それが、真実でないことも多いんです。
自分で勉強して、持論を持って、社会矛盾を突くのであれば良いですが、多くの場合、そうではないと思います。
そんな社会矛盾を愚痴る暇があれば、自分がどのように生きれば、お金や自由を得られるのかに、全エネルギーを掛けたほうが良いのです。
事例③ このYouTubeチャンネルはオナニーか?
情報発信は、価値があります。オナニーではありません。
僕の学生時代は、まだネットも普及しておらず、僕は、自分の考えなどを、日記に書き留めていました。あれは、自分だけしかみないので、完全なオナニーです。
しかし、情報革命が到来し、個人の主張をネットに晒すことで、面白がってくれる人もいるのです。あなたもその一人ですよね?笑
テクノロジーの進化が、オナニーを、セックスまで持ち上げてくれたのです。
ここでの注意点は、情報発信者側は、セックですけど、読んでるあなたは、オナニーの可能性があります。これを読んで、誰かに伝える、または実践することで、オナニーからセックスに格上げされるのです。
事例④ 挨拶はオナニーなのか?
僕は田舎の大学に通ってました。
通学路の脇の田んぼで、農作業している方に、大声で「おはようございます」と挨拶していました。
こんなことを、数ヶ月続けていると、色んな方から野菜をタダで貰えるようになりました。
その時に気付いたのは、
挨拶も言われた側(高齢の農家さん)からすると、嬉しくて「この学生に何かやってやらんと」って思わせる効果があるのです。
正直に白状しますと、打算も一部あって挨拶していました。
挨拶は、オナニーでなく、立派な価値提供になるのです。僕の挨拶で、相手が動いたからです。
結論
自分のコントロール下にあるものだけに、労力を費やし、価値を提供すること、その価値の対価としてお金やモノに換えること、これが最善の生き方だと思うのです。
最後にあなたに聞きますね。
オナニー(自己満足)ばっかりして、セックス(価値提供)出来てないことないですか?
See you tomorrow.