最近「全てが、実は、エンターテイメントかも?」と思えてます。なぜなら、全ての行動が「その場の気持ち良さ」を求めているに過ぎないからです。
ちょっと、哲学っぽい話ですが、最後まで、お付き合いお願いします。
目次
効率的に生きたいんだけど…
僕は「時間あたりに得られること」を最大化しようとしています。合理的な判断をし、生産性を高めて、効率的に生きたいんです。
スマホ依存症でして、ニュースも、読書も、SNSも、とにかくスマホで読みまくりです。意識高い系ってほどでもないですが、、
で、ふと思ったのが「別に、1日ニュース読まなくても僕の生活あんまり変わらないよなー」と。
ニュースを読む理由は「正しい情報を効率的に得られる」からです。そして、その情報は、いつか・どこかで自分の人生に役立つ、と信じてるから、読むわけです。
しかし、その投資時間(読む時間)から、得ているものって、具体的に説明できなかったりします…
接骨院、勉強、宗教だって同じ?
腰痛がつらくて、接骨院に通ってますけど「その時」は、何となく気持ちよくなるんですけど、翌日になると、また腰痛があって「昨日の通院、意味あったのかな?」って思うんです。
実は、自然治癒力(時間薬)が、治してくれてんじゃない?じゃあ、接骨院意味ない?と考えたりします。
勉強だって同じ。勉強してる時は「新しいこと学べて嬉しい」って、その時は、気持ち良くなりますけど、それって、どうなの?と思う。
要は、新聞も、読書も、勉強も、接骨院も、運動も、お酒も、食事も、ネットも、テレビも、麻雀も、宗教も、仕事も、セックスも、オ○ニーも
何もかもが、その場しのぎ「その時だけ」気持ちよくなってるに過ぎない、全てが、刹那的なエンターテイメントじゃないか?と思えます。
このブログだって、、
偉大な経済学者マルクスは「宗教は阿片だ」と「宗教には中毒性がある無価値なものだ」と切り捨てました。
それと同じで、僕から言わせれば「全ての行いはエンタメだ。中毒性がある」ってなるんです。共産主義者思想だって、理想に燃える、究極のエンタメですよね。
エンターテイメント性を感じれないことって世にありますでしょうか?
本投稿もですが、ここまで読んでいただいた、あなたの1分を奪っていますよね。あなたは、1分を犠牲にしたのと引き換えに「一瞬だけ楽しんだ」のかもしません。
ブログ投稿だって、立派なエンタメなんですよ。
See you tomorrow.