重罪を犯して、無期懲役や死刑など、出所の見込みがない受刑者たちが、どのように刑務所生活を送っているのか、という番組を見ました。
ある者は、筋トレに励み、ある者は、勤勉に労務をこなしてました。
目次
猛烈な筋トレ
休憩時間や、運動の時間に、これでもかというぐらい、トラックを全速力で走ってました。懸垂などもこなして、上半身もムキムキでした。1人でなく何人もがです。
番組では「生への渇望」と説明されてました。
彼らは、一生の中で、もう牢から出られない、不自由であるからこそ「生きている」という実感が、体感として必要である、と。
これは分かる。本当に分かる。ボクが、マラソン大会に参加する理由もここにあります。日々、パソコンに向かって仕事してると、自分が動物界のひとりの人間として、生きてるのか分からなくなる時がある。
走ると疲れるし、へとへとになって、立てられないぐらいになり倒れ込む。疲れると腹が減るし、よく寝れる。それは生物として「生きている証」なんですね。それを体感したいのは本当に分かる。
勤勉な労務者
受刑者は、単純な組み立て作業をしています。
しかし、彼らは、働いても、たいした銭は手に入れられないし、その銭の使い道も限られている。ボクが、死刑囚だったら、病欠して、意地でも働かないですけどね。だって結果として得られるものが少な過ぎるから。
番組では、モザイクがかかった受刑者は、このように答えてました。
「あのバッチが欲しい。皆んなに認められたい」
真面目に働くと、刑務所の中でも、昇級がある(給料でなく役職のようなもの)他の受刑者を、取り仕切るリーダーになれば、胸に、リーダーバッチをつける事が出来るんです。
バッチは、刑務所内で、常に付けるもので、他の受刑者から、羨ましがられるのだとか。
ここまで、人間とは自己承認欲(他人からよく見られたい欲求)が強い生き物なのかと驚きました。
だって、その世界で、いくら頑張っても、絶対に娑婆に出れない。未来の希望が無いんです。しかし、その異質な刑務所という小さな世界の中だけでも、認められたいという欲望があるのです。
そして、刑務所側は、その心理を上手く利用して、働かせているのです。
これは会社組織だって同じです。外の世界では何の価値もならない「役職」を、エサに、うまく利用して、あたかも価値があるかのように、また、その人の承認欲求をくすぐるように、社内で仕組み化して、働かせるのです。
役職が多少あがったくらいで、ボーナスにして、数十万ぐらいの差しかない。その数十万円のために、粉骨砕身して働くのは、どうなんだろうかと。
多少の賃金増と、対外的な役職効果のために、土日も関係なく、会社や株主のために働くのは、労働者として効率的な生き方なのだろうか。会社が、うまくデザインしたラットレースに迷い込んでいるとしか思えない。
ボクが出世してないからの僻みもあるかもしれないですね…笑
刑務所もあなたの属する組織も同じ
結局、何が言いたいかというと
「刑務所も、一般社会も、そこに人間がいる以上、同じ」ってこと。
我々からすると、刑務所と聞くと、異質な世界に感じますが、今、あなたがいる、組織(国、会社、学校、家庭)も、側からみると、異質に見えたりするんです。ですが、考えてることとか、行動原理の根っこは、実は同じだったりするんです。
だって、同じ人間だもの。
See you tomorrow