アカデミー賞など総なめした長編映画「ドライブ・マイ・カー」を観ました。
ボクは、映画はほとんど観ないんです。だって、何時間もかけて面白くなかったら、時間が勿体なかったって思うタイプだから。
だから、小説にしても、映画にしても、そこそこ前評判の高いものを選んで観るようにしてます。タイムパフォーマンスを意識してるわけです。
で、率直な感想としては
頑張って、3時間もかけて観て「分からない」というのは、本当に最悪です。もともと、村上春樹原作とは知ってたので、危ないかな(理解不能になるかな)とは思ってましたが、その通りになりました。
目次
自分側の問題
これは映画の問題じゃなく、ボクの「理解度の無さ」なんだと悲しくなりました。
自分に対して失望しました。この映画を咀嚼できてないんです。
映画も一つの作品です。誰かの表現作品なんです。表現者が絶対いて、その人が、何を伝えたいのか、何を表現したいのかを、ボクは理解出来ないのです。宮崎駿の作品も苦手で、どれも意味が分からない。
こういうケース、実は、ボクには多いんですよ。
以前、オーケストラやってる友人がいて、コンサートに誘われたんです。たしか27歳くらいの時で、初めてでした。
で、ボクは、観客席で爆睡してしまったんですね。友人は、大きなチェロを演奏してて、観客席もみえてて、ボクが寝てたのも知ってました。ほんと申し訳なかったです。
ボクには、オーケストラの演奏が、子守唄にしか聴こえなかった。人によっては感動して、涙をするんでしょう、ボクには、その感性や理解力が欠落しているんですね。
他には、絵画、クラシック音楽、村上春樹の世界、ポエム全般、ワインの味覚、博物館、美術館、寺社仏閣、世界遺産系など、それらを「味わえる」「楽しめる」人達が羨ましくて仕方ない。
これは生まれ持ったものより、生まれた環境が左右しているようでならない。
育った環境に左右されている
ボクは「母子家庭で、団地住まい、でも兄弟3人」と決して裕福な育ちではない。
家の中に絵画なんてあるわけないし、クラシック音楽も流れてない、誰も読書もしない、美術館や寺社仏閣なんて連れてもらったこともない、親や親類で、それらの「良さ」を、子供に伝えてくれる人は誰もいなかったです。
ピアノが家にあって、オーケストラを聴いて、日本文学書が書籍に並んでて、という家庭であれば、今の自分は違ったかもしれません。それだけ幼少期の経験や、環境は、大人になっても引きずるんだと思う。
だから、ボクは自分の子供には、色んなことを経験させて、ボクみたいな貧弱な感性に育たないように注意はしています。
もうすぐ40歳、後半戦に入ります
来年には40歳を迎えます。人生の後半戦は、先ほど挙げたことを、もう少し理解できるように、努力していきたい。老後になると時間も増えますからね。
サッカー、マラソン、将棋、釣り、投資ぐらいしか興味の幅がないボクは、このままだと人生損してる気がしてならないです。
先日、なんばグランド花月に、漫才を観に行ったのですが、そこそこ楽しめました。多分、ボクは感性が「低俗な庶民」なんですね。開き直りたくはないけど、これが現実です。
「ドライブ・マイ・カー」の何が良かったか、分かる方は、コメントいただきたいです。
格差のもとは教育である。海外と比較しても日本は平等にチャンスがあり、これを活かさない手はない(室長の過去話付き)
室長イチオシ流行語「タイムパフォーマンス」皆さん、タイパ意識してますか?
See you tomorrow.